通勤にて人生を想う
- 2020/03/18
- 18:10
コロナウイルス(Covid-19)パンデミックが世界で拡大の中、
(相変わらずマスクの着用率は100%です)
香港の電車は、日本の通勤ラッシュほどではないので一定のスペース(隙間)があるのですが、
電車からわーっと駅の出口に向かう人たちを見てこんな風に思いました。
とても勢いよく歩いているのに、
あくせく、
せわしなく、
人を交わしながら、
たくさん動いているにもかかわらず、進んでいる距離は、一緒なのです。
どういうことか?
右へ左へ
右往左往しながら
グネグネ動いているのですが、
選択している通路?道?が悪いがため、
結果後からゆっくり歩いている人と進んでいる距離が同じなのです。
スノボーでもそうですが(突然思い出した!笑)、
足元を気にしてしまい、
自分の進んでいく先に、「顔をあげて進ま」ないとうまく滑れません。
上を向けとまではいかずとも、顔をあげて先を見据えて進まなければ、うまくいかないのです。
それは、
戦略なしにやみくもに動き、
体の疲れと運動量だけの自己満足に似た満足感のみを得ることと一緒です。
(実際肉体労働の方が充実感、幸福感は感じやすいのですが)
私は、いつも、同じ日本人として、ここを強調したい!
海外に出ると、そもそもlazyでいかにさぼろうとする人が多いかに気づきます。
(一部のアッパー層のみがものすごく働くだけです)
日本人は、(少なくても私のいた時代の私の周りの人たちは)
一生懸命、素直に、長時間、頑張って、頑張って働きます。
でもその働き方が、「先を見据えて、顔をあげて」ないのです。
ただただ、まじめに、自分を酷使して働く、、そんな人たちが多かったです。
ゆっくりでも、「先を見据えて、一歩一歩歩いている」人は、
「呼吸も整い、周りも注意深く観察し、どの道が、”良い”かが見極められ」ます。
私自身も、あくせく、バタバタ、そんな生き方をしてきました。
少し、呼吸を整えて、ゆっくりと先を見据えて進んでいこうと思います。
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