偽善者になることへの恐れ
- 2014/08/26
- 15:34

むかーし、
周りの人に、自分の思いや、やりたいことを話したとき、決まってこんなことを言われることが多くありました。
”HIROはえらいね~。俺(私)には出来ないや、そう言うの。”
心の中では、こんな返事を期待していたものでした。
”何か一緒にやろうか?!”
”俺(私)になにかできるのかな?
人に物事を強いてはいけない。
と戒め、
自分と同じような興味がない人を
期待している反応をしなかったからと
そのことで、
その人を判断してはいけない!し、めげてはいけない!
と思っていました。
同時に、こんなことも思い出しました。
フィリピンやタイの貧しい子供達の話をしていた時に、
自分の興味のあることだったので、、、
思わず、ペラペラと話し出してしまいました。
うっとうしいなと顔をされたのは何となくわかっていながら、
夢中で話をしてしまい、、(今も夢中で話してしまうことがあるのですが、、)
この洋服かわいい、これ美味しそう!と食やファッションの話しで話を中断されて、
とても怒りがこみ上げ、悲しんだことがありました。
(貧困や教育を受けられない子供の話しをしていたので)
そのときは、
”そういうこと興味がないんだ”
”話されることで心地よくなく、気持ちが落ち込んで、暗くなるのが嫌なんだな”
と思いました。
今は思います。
もしかしたら、みんな、、興味がないわけではなくて、
”偽善者になるのを恐れているのかもしれない”
世の中では、みんなが、
”これは大事なこと!””これはしなきゃいけないでしょ!?”
ってことを、好きでも何でもないものに、自分の時間をとられてしまう。
自分の一方的な思いの押し付けで、
相手に”偽善者になることに恐れ”をいだかせてしまう。
本当は、、
話を聞く側の人は、
<自然と負担なく、身構えることなく>
”参加する仕組み”がなかったから、見えなかったから、
戸惑っていたのかもしれないと、、。
”仕組み作り”の難しさをつくづく感じます。
ふと気付いたら、世の中が良くなっていた!
そんな ”仕組み作り”
できたらいいな。と思うのです。
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