人の行為に意見する・責める際の起点
- 2014/07/18
- 15:17

ヒトを責めるときの起点は、
1、あるべき姿(マスコミなどの視点、起点に攻められやすい職業:政治家、医者など)
または、
2、自分
(むかーしむかーし、いろんな人から、
(”教師になれば?”なんていわれた事があったのを思い出します。))
今考えると、
”教師”=”神聖なもの”であり、
感性豊かな若い人に自分のような未熟者が、影響してしまうことを恐れていたのかな?なんて思います。
(あるべき姿の視点で重く見ていたのですね)
同時に、なぜあるべき姿に素直に入って?いけないのか?
と考えました。
私の生き方・考え方は、”世間に浸透しているあるべき姿”とかなりずれているからです。
”自分の中のあるべき姿”と”世間に浸透しているあるべき姿”の認識が違っていることで、
人から攻められたりすることを恐れることがあります。
今もそうです。(でも、同時に沢山のかたにあったり、お話しを伺うことで、間違っていないのかなとも思います。)
私だったらこうだなという”自分視点”で
1、弱気に考えると”あー自分は、なんて駄目なんだろう”
2、強気に考えると”あの人は、どうしてこんなふうにしているのだろう”
など、色々考えます。
世間でもあるべき姿=人に優しく、思いやりを忘れず=自分
となれればいいな~。
なんて考えながら、この記事を書きました。
スポンサーサイト
- テーマ:ありのままの自分になるために。
- ジャンル:心と身体
- カテゴリ:伝えたい思い・ものの見方
- CM:0
- TB:0